☆空き缶運動を批判し続ける誹謗中傷の犯人は、札幌市生まれ育ちの52歳!初老ニート鶉橋浩行だった!

北海道札幌市内の鶉橋浩行52歳は、業務実態のない自宅兼用で親の不動産幽霊会社肩書きで実質80歳近い母親の年金で暮らしている初老(52歳)ニートだ〜!
この10年近く、パソコンかじりつきのニート生活。朝一番には、おはよーで始まり夢の話からくだらん模索に、パソコンかじりつきは数十分単位で更新され、他人の悪口がエスカレートして被害妄想一色と自分ヒーロー化で陶酔する。陶酔しきったニート鶉橋は、夕暮れになると酒を飲み始めベロベロになり悪口を掲示板や40以上のID、サイトなど多用して悪口だけ言って誹謗中傷を繰り返して酒に酔い潰れて眠る時にお休みなさいと毎日繰り返す。何年も誹謗中傷に酔いしれ酒に酔いしれ一度も仕事をせず友人もないままに誹謗中傷繰り返して今52歳。・・10年間も続けている精神異常者の札幌のコンクリートに住む母親の年金に頼って生き延びている初老ニートの52歳これが鶉橋浩行(恋愛経験ゼロの未婚のままに老いぼれた初老ナルシスト)である。(地域のみなさん、女性のみなさん、札幌の住民の方、コンクリートの中で全国に生き恥さらしている24時間のクズ!を・・軽蔑し蹴散らし嫌ってやってください)


宅地建物取引業者 紹介ページ

鶉橋浩行がブログ、誹謗中傷を繰り返す実態

〜空き缶運動批判〜


批判の内容を、YouTubeの動画


「町田市のあきかん回収条例制定後に空き缶回収運動を始めた五井野正」
http://www.youtube.com/watch?v=1Ss9qi8xuzE&feature=plcp


のコメントから、そのままコピーします。

------------------------------------------------------

1974年に五井野正が空缶回収運動を始めた頃はすでに、空缶回収運動はブームになり、条例が出来たりして成果も上がっていた。
http://www.j-sda.or.jp/about-jsda/50years/chron02.html
1972年−.−空き缶等による散乱問題の論議始まる
1973年オールアルミニウム缶回収協会(現「アルミ缶リサイクル協会」)設立
1973年 空き缶処理対策協会(現「スチール缶リサイクル協会」)設立
1973年 東京都・町田市が制定した「あきかん回収条例」

五井野正の運動
1974年 全国各地で「歩け歩いて空き缶回収運動」を行い新聞、テレビ、ラジオ、雑誌等のマスコミで大反響となる。
http://www.avis.ne.jp/~wippii/keireki.html

さらに京都市でも1970年頃からポイ捨てされた空き缶を拾い続け「カンカン坊主」で知られる京都市常寂光寺(嵯峨野の紅葉で有名)前住職 長尾憲彰上人が、「美しい嵯峨野を守る会」を結成して、清掃ゲリラ活動を始めた。

------------------------------------------------------


結論を最初に言うと、五井野博士の運動と町田市の条例とを、年代の後先だけで優劣をつけることは、意味のないことである、ということです。

では論を進めていきます。


まず、日本のごみについての歴史について。


もともと江戸時代は循環型社会でした。
そのため、ゴミ問題などは存在しませんでした。


この認識は、今では一般的ですが、少し前まではそのように考える日本人は少なかったのです。
この考え方を広めたのも、実は五井野博士です。
浮世絵を通じた啓蒙活動の結果、江戸時代について関心を持つ人が多くなり、江戸時代の文化や思想を研究・発表する人が多くなってきたためである。
この辺の詳細については、ここでの本筋とはずれるので書きませんが、是非知っておいてもらいたい事実ではあります。


明治以降、日本は西洋の思想・文化を取り入れてきましたが、その過程で、江戸時代までの循環の思想に代わり西洋的な非循環的な思想がだんだんと浸透してきたのです。
(注.ちなみに、日本と西洋がその時にまるで入れ替わったように、西洋では環境に対する考えが変わり、現在では北欧やドイツなど環境大国となっている。)


時代は下り、第二次大戦後、高度経済成長に伴う生産性の向上と使い捨ての風潮とが相まって、処理しきれないゴミが日本中に溢れるようになってきました。


1970年代に入り、とうとうゴミ問題は大きな社会問題となったのです。


これが大まかではありますが、私なりの流れの説明です。


さて、そのゴミ問題の象徴となったのは、空き缶でした。


なぜ象徴となったかといえば、中が空洞なので回収しても空気を運ぶようなものとして積極的に回収される対象とならなかったため、最も回収が進まなかったためである。
缶には「あきかんはゴミ箱へ」と書かれていましたが、守られず、至る所にポイ捨てされていました。


批判にもあるように、1972〜1973年にかけて動きがあり、1973年に町田市で「あきかん回収条例」が制定されました。
このこと自体は評価できますが、この条例には罰則規定がなく、実質的には訓示規定に留まらざるを得なかったのです。
しかも、この時点では、あくまでも回収することが目的であり、回収した空き缶はどうするのか、ということまでには考えが至っていなかったのです。
そのため、集めた空き缶は、結局埋め立てるなどの方法で処分していたのです。

そこで五井野青年の登場です。

五井野青年は、もともと循環型社会の考えを持っており、回収するだけではなく、さらに踏み込んで再利用するという考えを日本に定着させようとしたのです。


また、責任の所在もはっきりとさせようとしたのです。

動画の中でも述べています。
「拾う人がいても捨てる人がいて、イタチごっこになる。生産オンリーの国と企業の考えを変える」
「リサイクルとしての形が現代では出来ていない。それがそもそもの(空き缶回収運動の)発端」
「拾うのは美観運動やボランティアでも出来る。でも回収後、埋め立てなどされている。

その責任を行政だけでなく国や企業にも持ってもらいたい」

批判者は、五井野博士が「歩け歩いて空き缶回収運動」を始めたのが1974年で、1973年に町田市で「あきかん回収条例」が制定された後であるから、単なる物まねであり価値がないと言いたいのであろうが、その言い分は正しくない。

五井野博士が活動したことにより、国、企業、行政、そして国民一人ひとりの意識が変わったのである。
生産オンリーではなく、リサイクル型の社会へ。
ゴミの処理は行政だけに任せるのではなく、国や企業や国民すべてが負担する社会へ。


今では缶には「あきかんはリサイクル」と書かれたいますが、これもリサイクル型社会へと意識が変わったことを示している。

「オールアルミニウム缶回収協会」が現在「アルミ缶リサイクル協会」へと、「空き缶処理対策協会」が現在「スチール缶リサイクル協会」へと名称が変更になっていますが、設立時は回収や対策が目的であったのが、その目的までがリサイクルに変わったため、名称もそのように変更となっている。

これもリサイクル型社会へと意識が変わったこと表している。

五井野博士が企業にも責任を負ってもらおうとした過程では、かなりの圧力がかかったと聞いている。
国においても、協力的でなかった。
また、今では街角でごみを拾っている人を見かけても、良いことをしているなと好意的に受け止めるであろうが、当時は違っていたのです。

落ちている物を拾い集めるなんて、乞食のすることだと思われていたのである。


五井野博士は企業や国の厳しい態度や、国民からの冷たい視線にも耐え、社会のために努力をなされました。

他に誰がこのような苦労をして活動出来た人がいたでしょうか。


今の若い人たちは知らないであろうが、この当時の日本は、お世辞にもきれいとは言えなかった。

しかし、五井野博士のおかげで社会全体の意識が変わり、ゴミだらけで汚かった日本が、きれいな日本へと変わったのです。


批判の冒頭部分の
「1974年に五井野正が空缶回収運動を始めた頃はすでに、空缶回収運動はブームになり、条例が出来たりして成果も上がっていた。」
との文について。


この文章は批判者の五井野博士の評価を下げようとする意識のため、思い込みで書かれていると思う。


まず、何をもってして「ブームになり」と断定しているのか?
むしろ回収運動は国民の間で定着していないからこそ、条例等で定めて回収しようとしたのである。
つまり「空き缶回収運動がブーム」になっていたのではなく「空き缶のポイ捨てが社会問題となり解決しようという機運がブーム」になっていたというのが正しい。


また、「成果も上がっていた」というのは全く逆である。
既に記述しましたが、町田市の条例には罰則規定がなく、実質的には訓示規定に留まらざるを得ず、まだまだ空き缶のゴミ問題は解決の端緒が開かれたに過ぎなかった。


だから、批判者のこの文は次のように書き換えるのが正しいと思う。
「1974年に五井野正氏が空缶回収運動を始めた頃は、空缶回収運動は条例が出来たりしてはいたが、まだまだ成果が上がっていなかった。」


その様な時に行われた五井野博士の「歩け歩いて空き缶回収運動」は、その高い精神性や音楽を使用したユニークな活動であったため、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌等のマスコミで大反響となったのである。








011−590−0484

なぜ、誹謗中傷を繰り返すのか?電話で問いただそう!そして止めさせよう。人権侵害。







ツイッターで誹謗中傷し続ける鶉橋浩行
http://twitter.com/saatennkixyu

サーティンキュー @saatennkixyu






鶉橋浩行の誹謗中傷ブログ

ブログ:サーティンキュー
http://xuzu0911.exblog.jp/


北海道宅地建物取引協会
札幌南支部





北海道 建設部 宅建業者指導  建築指導課管理指導グループ
             TEL 011−231−4111(内線 29−463)
E-mail kensetsu.kenshi1pref.hokkaido.lg.jp



鶉橋浩行の精神異常な日常掲示板の一部を添付










鶉橋浩行はこういう精神異常な日常の合間にブログ、ツイッター
で博士や多くの有名有識者を
罵倒し続けることを生きがい
生きているようです。こういう鶉橋の側面を知らない第3者が鶉橋が
ねつ造した
誹謗中傷サイトやツイッターを見て本当はそうではないのに適当に
作り話を部分的に挟んでさもあったかのごとく
作り話をねつ造する。
それに対して初めて見る人は、
印象操作や不安なイメージを受けてしまう。
鶉橋は、それらを喜び10年近くだれもかれもを
毎日毎日誹謗中傷し続けることを
繰り返し続けている札幌の精神がおかしい
狂った人物なのです。


ブログ、ツイッターで飯山一郎さんを誹謗中傷し続ける鶉橋浩行



リンク

五井野正博士を誹謗中傷し続ける犯人は

☆五井野正博士への誹謗中傷サイトを造り検索上位に誘導する大掛かりな妨害

フェザー文庫、林檎プロモーション代表取締役窪田和人だった。

中矢伸一氏へ誹謗中傷をし続ける鶉橋浩行

リチャードコシミズ氏(輿水正氏)へ誹謗中傷をし続ける鶉橋浩行

船井幸雄氏へ誹謗中傷し続ける鶉橋浩行。

五井野正博士に誹謗中傷をし続ける鶉橋浩行


飯山一郎さんへ誹謗中傷をし続ける犯人は札幌市で生まれ育った鶉橋浩行だった


飛鳥昭雄さんを誹謗中傷し続ける犯人は、北海道発鶉橋浩行52歳だった。みんなで怒ろう!


ブログ、ツイッターで飯山一郎さんを鶉橋浩行(52歳)が誹謗中傷し続ける実態


皇室、天皇陛下へ誹謗中傷を繰り返す犯人は鶉橋浩行(52歳)だった!


日本の警察へ誹謗中傷をし続ける犯人は、鶉橋浩行(52歳)だった。


小沢一郎代議士(国民の生活が第一:党首)へ誹謗中傷しているのは鶉橋浩行(52歳)だった。




五井野正博士批判を糾す!より  http://ameblo.jp/hard-boiledeggs/

創価学会が創栄出版を乗っ取り入手した予約金を五井野博士がきちんと対応した実態。


アルメニア大使館へ電話したという虚偽の作り話の上に誹謗中傷をねつ造した実態。



五井野博士への空き缶運動批判


チェルノブイリ被災者「五井野正博士」救済地元ウクライナのTV放映への批判














inserted by FC2 system